ファインダーのむこう側

20140224.jpg
ファインダーのむこうに、その中に何が見えているんだろう、と いつも思う。
古い写真集を何冊か大切にしています。実は写真よりも、それを撮った人の視点に興味があり、人物像にフォーカスしている自分がいます。
写真を撮るお仕事も、人それぞれに、仕事との、被写体との向き合い方があり、写真の特徴も、編集の仕方も、さまざまに違うことを知るのですが、それにしても気に入った写真を眺めている限りは、不思議とその留められた一瞬に「ひとけ」を感じるような気がするのです。
温度、それは体温かもしれない。写真の中の色や距離や瞬間に、それをとらえた人の、人となり、肌合いを知ったように思うのは、やや言い過ぎかもしれませんが、でもなんとなく、花との関わり方に通じているかもしれません。往々にしてクリエイティブとはそういうものなのかもしれません。
言葉を交わさなくても、手を通い作られた作品が、すべてを知らせてくれると思う。
週末、知り合いのカメラマン中島さんのスタジオで、友人が撮影をするというので、ちょっとお邪魔してきました。花の写真家が潜む、麻布のスタジオ初潜入。そうなの私、ここに来たのはじめてといって、中島さんと二人で「なんかふしぎ~」と声を揃えてみたり、はじめて出会ってから、ずいぶん時間が経過したのだなあと、しみじみしたり。
当時アシスタントをしていた先生のお宅に撮影でいらした中島さんは、今よりずっとコワかった、という印象が暫く残っていましたが、そろそろ忘れそう。最近はいつお会いしても、すっかり・・・・いえ、尊敬しています。心から。
「中島さんにしか撮れない花がある」とは、身近な関係者なら、誰もが感じているのではないかと思います。いっしょに一花の表情を覗きこみ、耳をすまして花の声をきく作業。花の声は花を活けた人の心に等しく、その声と心にアプローチできる人。繊細で時間のかかる作業だけれど、刻一刻、厳しくていねいに手間を重ねるしごとに、しばらく魅入りました。
花を活ける手、ファインダーを覗く姿を眺めながら、仕事とは、ひとつひとつを、手を抜かず仕上げていく、その積み重ねこそが、美しい痕跡になっていくのだと思いました。花に限らず、どんな仕事であっても。
ひとけのある花 温度を感じる花を 残したい。伝えたい、と心から思う。
それにしても、自分で撮るとなると、花の写真はなぜこうも難しいか。日々、花に向き合い、どうにかこの写真をもっときれいに撮れないものか、と頭を悩ます日々ですが、まったくコツがつかめず、時間が許さず、とうとう心が折れると、中島父にグチをこぼしておりました。それからしばらくは、ああでもないこうでもないと他愛のない話をしているうちに日が暮れ。
「咲ちゃんも 撮ってほしいものなにかない?」と聞かれたのですが、悲しいかな、自分はもう作品を残す人ではなくなってしまいました。
でもやはり、中島さんにしか撮れない花があります。
一日でも長くカメラを構えていてほしいなと思います。ご本人の意志を知ったうえで独り言。