夏の名残のバラ

夏の名残のバラ 
一人寂しく咲いている   
他の花々は既に枯れ散った  
真の心が枯れ果て 
愛する者がいないこの世の中で   
誰が一人で生きられようか             
『The Last Rose Of Summer 』

『The Last Rose Of Summer(夏の名残のバラ)』は古い時代から歌い継がれるアイルランド民謡。「過ぎゆく夏を惜しむようにして咲く一輪のバラをみつけた時に書いた」とされる美しい詩は、詩人トーマス・ムーア(1779-1852)によるものです。

https://youtu.be/LqtSmj7zxmw?si=lhSSIdOBDdAqdd4S

この民謡を原曲とした唱歌が日本にも残っていまして、日本での曲名は『庭の千草』といい原曲の「バラ」は「白菊」としてうたわれます。作詞者は、イギリス民謡『埴生の宿』の訳詞も手掛けた明治時代の文学者、里見 義(さとみ ただし)です。

庭の千草も むしのねも
かれてさびしく なりにけり
あゝしらぎく 嗚呼白菊
ひとりおくれて さきにけり

露にたわむや 菊の花
しもにおごるや きくの花
あゝあはれあはれ あゝ白菊
人のみさおも かくてこそ
『庭の千草』里見 義 作詞

季節、トーマス・ムーアの詩の季節が夏の名残り(初秋)であるのに対し、里見 義の詞は夏から秋、秋から冬の庭の千草が枯れる頃を思わせます。

花、『夏の名残のバラ』は残照の中に咲く晩夏のバラを思い描き、『庭の千草』はバラにはない白菊の花の崇高な佇まいが目に浮かびます。いずれも季節の終わりに佇む花たちに気づかせてくれる。名訳です。

『夏の名残のバラ』が「人生の晩年に愛する人に先立たれた人の寂しさ」を歌った詞であるのに対して、『庭の千草』は「霜におごるや(耐えて)」「人の操も かくてこそ」とあるように、人が人生最後まで節操を守り生きることの尊さと、菊の花のように人間も強かに生きていきたいものだというメッセージをも、込められているような気がします。

今年は残暑がまだしつこくありますが、夕暮れ時にはにわかに「夏の名残り」を感じるようになると、今年もまたこの曲を思い出しました。毎年同じことを書いている気がしますが、こうしてさまざまな作品の中にいる花や植物に気付きながら季節をめぐらせる、それが何よりたのしく、よっぽど私は好きなのだなと気付いた夏の終わりです。贈るばかり、飾るばかりが花ではないと思います。

良い週末をお過ごしください。