一つとつながる

 

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森よ、この世は色即是空、色あって色は空なり、万法みな色あり、しかして空なり、そなたこそわが仏なりとて (水上勉・一休)

 

「色即是空」

 

現世に存在するあらゆる事物や現象はすべて実体ではなく、空であり、執着してはならない、という意味を持つ。この言葉が私は好きだ。

 

最近、花を見る目が変わったように思う。一日一花をみつけて、その表情をとらえるのもたのしい。昨年再会した知人の写真家や、花を愛する友人と過ごした時間が、忘れていた大切なものを、呼び覚ましてくれたように思う。

 

「この花のね、このうなじの線が美しいよね。この角度」

 

愛おしいこのインスピレーションを、自分のカタチで伝えたい。その思いが造形になり、写真になり、フラワーデザインに残る。やっとそれを受け止められるようになり、わかったこの頃。

 

やっぱり 花はいい。そう思えるようになった。

 

一度は花の仕事をやめた。どう向き合ってよいのかが分からなくなった時があった。業界にも全く興味がなくなった。でも結局戻ってきたのには、きっかけとなる出会いがあったからなのですが。その話はまたいつかするかもしれません。しないかもしれません。

ただ気づけたことがあります。どんな道をたどったとしても、人の道は一つにつながるんだと。さいきん、以前にもまして執着がなくなり「なくてもよい」と思えるものが増えた。そんな少なくなった関係性の中で、自分のかかわりとまっすぐ向き合ってみると、選んだものがその「ひとつ」につながっていくからおもしろい。

 

くだらないと思ったものの中に大切なもの、忘れられないと思っていたけれど捨てられたもの、こだわりだと思い込んでたものが他人の価値観だったこと。ひとつひとつ整理をしたわけではないけれど、いま、数すくなく残ったひとつひとつを、丁寧に盆の上に並べているような感がある。

 

これでいい。心からそう思う。

さて、随筆の話しでした。(思い出しました)私は随筆が好きです。ただしかし、せめて読書が趣味といいたいところだが、それはない。本を持っていないと落ち着かないのです。

 

多読、精読、速読、どれにも当てはまりませんが、毎日5~6冊の本を持ち歩き(ボロボロです)ひまひまに手に取り指で押しあてたそのあたりをひらき、流し読みをしてまた閉じる、そんなことをしている。小説はほとんど読みません。長いから。もっぱら随筆と辞典と植物に関した選書だけ。しかしこれが実に楽しい。

 

写真にある岩本素白の随筆集は、とある本の中でその存在を見つけた一冊です。このひとがよいというのだから、きっと良いのだろう、そんなチョイスでした。

 

残された作品が少ないことが後にわかるのですが、その文章は繊細かつ鋭敏。古い時代の東京を、ぶらりと歩く中で思いはせたのであろう、わずかな色彩を残すその情景がしみじみと伝わってきます。

 

古い随筆の良さは、日本語の美しさ、四季折々の描写が精鋭で卓越していることに尽きます。挿絵も写真もないのに、そこに咲いてるであろう花の姿、景色が目に浮かぶから、まるで寄り添い過ごしていたような気にさえなるふしぎ感覚。何か忘れていたものを取り戻すような、静かな時間が流れます。

 

ちなみにエッセイ(随筆)とコラム(評論)の違いは、「生き方」と「考え方」のようなものだと思います。

 

ところで、不思議なのは、あれもこれもと読んでいるのに、だれが用意した扉から入っても、期待したとおりの心地よさに至るのです。

 

最近、お友達や仲間のブログなどを読んでいても、そんな同じ心地よさを覚えるようになりました。扱う商品も、環境も、立場もなにもが違うのに、なんとなくお互いに、同じようなことを、いってるような、いいたいような。そしてその結論。

 

書き手の「生き方」そのものである文章は、何度よみかえしても楽しい。

 

やっぱり一つとつながるのだと思う。 

 

というわけで、私ももう少し書いてみようと思った次第。

 

今は本が読みたい。いつか朝から晩までこれだけして、本を読み漁りうもれて一日終えたいと思うのだけれど、ちっともかなう様子がないことが、最近のたったひとつの不満です。