四月を一日残した今日、暇なく注いだは暮春の雨。ひなげしの花は悲しげなり、すみれの花は冷げなり。「春の長雨が降っている間に、桜の花もすっかり虚しく色あせてしまった。それはまるで恋や世間に気を取られてるうちに、私の美貌も失せてしまったのに似てるわね」小野小町は桜に自身を重ねていたけれど、私はこの花をみてこの歌を重ねました。悲しくもないし寂しくもない、ただぼんやりした気持ちで。今日もいちりんあなたにどうぞ。花の色は うつりにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまに小野小町 ひなげし 花言葉「休息」

四月を一日残した今日、暇なく注いだは暮春の雨。ひなげしの花は悲しげなり、すみれの花は冷げなり。「春の長雨が降っている間に、桜の花もすっかり虚しく色あせてしまった。それはまるで恋や世間に気を取られてるうちに、私の美貌も失せ...

旅の途中で詠まれた歌に、よく桜がでてくるのは、旅人たちが山道を歩くことが多かったからなんですって。どれほどの景色が広がっていたのかしらと、想像するだけで山の色香が漂います。その当時、物ももたず慾もみたさず花をみて、道なき道を歩いては歌を詠んだ昔の人にとって、幸せとはなんだったのだろうと、ふと思いました。それとは、いまこんなふうに東京で、道端路肩の花をみつけては、誰かに伝えたくなる気持ちと、 少しは似たりもするかしら、なんて。今日もいちりんあなたにどうぞ。ツルニチニチソウ 花言葉「優しい」

旅の途中で詠まれた歌に、よく桜がでてくるのは、旅人たちが山道を歩くことが多かったからなんですって。どれほどの景色が広がっていたのかしらと、想像するだけで山の色香が漂います。その当時、物ももたず慾もみたさず花をみて、道なき...

花がすめばつつじ。実は単に「つつじ」という植物はなく、山つつじ、みつばつつじ、など数多くの品種名で親しまれている花です。「れんげつつじ」といえば、その名は蓮華のような赤色から「さつきつつじ」は皐月のころ五月が見頃の花だから。四月が足早に過ぎていくこの頃、日ごと光の中にも初夏の気配を感じるようになりました。今日も良い天気。よい一週間にしましょうね。今日もいちりんあなたにどうぞ。優しさのひとつは、自身が受けるに値する愛以上の愛を、人に与えることにある-ジョセフ・ジュベールツツジ 花言葉「恋の喜び」

花がすめばつつじ。実は単に「つつじ」という植物はなく、山つつじ、みつばつつじ、など数多くの品種名で親しまれている花です。「れんげつつじ」といえば、その名は蓮華のような赤色から「さつきつつじ」は皐月のころ五月が見頃の花だか...

終わってしまったといって泣くのはやめよう。生きていろいろな経験をしたのだから、笑おうよ。-ドクター・スースね、笑おう。今日もいちりんあなたにどうぞ。ヒメツルソバ 花言葉「思いがけない出会い」

終わってしまったといって泣くのはやめよう。生きていろいろな経験をしたのだから、笑おうよ。-ドクター・スースね、笑おう。今日もいちりんあなたにどうぞ。ヒメツルソバ 花言葉「思いがけない出会い」

ジェームズ・M・バリー『小牧師』

歳をとることは嫌なこと、なのかもしれない。まず体力は落ちるし、偏見も強くなる。優越感にとらわれる、忘れっぽくなる、気は頑固になる、くせに肌はたるむ。笑でも、そういうもの、と思いたい。反してよい点も、ないわけではないから。...

嘘も方便といいますが、これは相手のためにつく嘘というのが本来。決して自分が優位になるためのものではなく、相手への配慮の表れとして使われます。言葉の由来はいくつかあり、一つには「うそ」は仏教用語の「有相(うそう)」が語源との説。この「有相」は形のあるもの、対して形の無いものは「無相(仏の悟り)」をいいます。つまり形の無い仏の悟りを人々が理解しやすくするために、言葉や絵画など形あるもので伝えようとするのが「有相」。なるほど相手のために慮る、というニュアンスが汲み取れるようです。相手のための嘘、ときいて思い出すのは1997年公開のイタリア映画「ライフ イズ ビューティフル」です。ユダヤ人捕虜収容所に入れられた主人公は、過酷な状況の中、息子のジョズエが少しでも楽しく過ごせるようにと明るく振る舞い、ユーモアを交えながら命がけで嘘をつきます。「さあ、ゲームの始まりだ。お前は1000ポイント貯めなきゃいけない。もし1000ポイント貯めたら、大砲のついた戦車を家に持って帰れるんだよ。」「僕たちは1000ポイント貯めたんだ。だからゲームに勝ったんだよ!ダディと僕は一等賞になったんだ。だから本物の戦車をもらったんだ。勝ったんだ!」「これが私の物語。父が命をかけて私にくれた贈り物。」嘘とは相手のためにあるという真実を心に刻んでくれた名作です。今日もいちりんあなたにどうぞ。トルコキキョウ 花言葉「あなたを想う」

嘘も方便といいますが、これは相手のためにつく嘘というのが本来。決して自分が優位になるためのものではなく、相手への配慮の表れとして使われます。言葉の由来はいくつかあり、一つには「うそ」は仏教用語の「有相(うそう)」が語源と...

今日4月20日は穀雨。二十四節気の一つで、穀物の種や芽を潤す雨が降る時季のこと。この頃の暖かい雨には田畑の作物も育ち、野山にも緑が増してくよ、というお天道様のお知らせです。「雨は花の父母」という言葉があります。春の雨は草木を育て花を咲かせるから花の父母のようなもの、どんな花にも草木にも公平に降り注ぐ、なんて意味。季も名残り、今日の雨がいとしく思える言葉です。今日もいちりんあなたにどうぞ。本読むは微酔のごとく穀雨かな-鳥居おさむホタルブクロ 花言葉「忠実」

今日4月20日は穀雨。二十四節気の一つで、穀物の種や芽を潤す雨が降る時季のこと。この頃の暖かい雨には田畑の作物も育ち、野山にも緑が増してくよ、というお天道様のお知らせです。「雨は花の父母」という言葉があります。春の雨は草...

“私は、「各人が〝美しい〟と感じたそのことが、各人の知る〝美しさ〟の基礎となるべきだ」と考えていて、「〝美しさ〟とは、各人がそれぞれに創り上げるべきものだ」と考えています。““「美しさが感動を呼んだ」は、いたってありふれたフレーズです。ところが、その「美しさ」を「美しい」と理解しない人にとっては、この説明がとんでもないものになります。「美しさが感動を呼んだ」とは、「なんだかわけの分からないものが、なんだかわけの分からない事態を惹き起こした」でしかないからです。“以上、橋本治著 『人はなぜ「美しいがわかるのか」』よりの抜粋です。たまたま手にした本ですが、これを読み、またして小林秀雄の言葉を思い出しました。「美しい」とは何か。ここまでくると、どうもこれは私にとって、生涯不朽のテーマになりそうです。今日もいちりんあなたにどうぞ。美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。 -小林秀雄『当麻』よりサンカヨウ 花言葉「幸せ」

“私は、「各人が〝美しい〟と感じたそのことが、各人の知る〝美しさ〟の基礎となるべきだ」と考えていて、「〝美しさ〟とは、各人がそれぞれに創り上げるべきものだ」と考えています。““「美しさが感動を呼んだ」は、いたってありふれ...