一日一花

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「よくまあそんな毎日、書くことがあるもんだねえ」とあきれ半分に声をかけられることも多くなった。フェイスブックの投稿のことである。
誰が書いてるの?ともよく聞かれますが、私です。
個人のものはさておき、オフィシャルの花以想のFBページに関しては、時間の許す限り、まいにち一投稿を心がけ、続けている。
凝り性ではない。多趣味でもなく、アウトドアでもなく、こと三日坊主なんてこれぞお手の物、40年生きてきて毎日コツコツ続けてるのは、せいぜい子育てと仕事のほかに何もないといったありさまだ。
でも充実している。
フェイスブックでの毎日の投稿を、苦も無く続けていられる理由は何なのか、自分でもよくわからないのだが、理屈抜きにただ楽しい。それだけだったりする。楽しいに理屈はない。
そして、「一日一花」の精神を教えてくれたのは、川瀬敏郎さんのこの一冊だった。
書籍の末に、ご本人からのメッセージがある。
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「東日本大震災からひと月後、テレビのニュースを見ていたときでした。画面は剥きだしの大地に草が萌え、花が咲く、被災地の遅い春を映していましたが、私の心をとらえたのは、花をながめる人々の無心の笑顔でした。
 じつは震災のあと、私は生れてはじめて花を手にすることができずにいたのですが、その笑顔にふれて、むしょうに花がいけたくなり、気づけば「一日一花」をはじめていました。生者死者にかかわらず、毎日だれかのために、この国の「たましひの記憶」である草木花をたてまつり、届けたいと願って。(中略)
 私は「一日一花」を、花による曼荼羅と思い描いていました。あらゆる花を手向けたいとの心願がありました。とうてい私ひとりの手には負えません。気心が知れ、花をよく知る川島南智子さんと、花フジの藤井一男さん壽子さんが心強い味方でした。なかでも川島さんと壽子さんは、まさに身を賭して山野を走りまわり、花を届けてくれました。二人をつうじて多くのいのちと出逢いました。(中略)
 多くの方々の力添えがあって、三六六日、花と向きあうことができました。終えてみると「花を賜った」という気持でいっぱいです。心より御礼申上げます。
『一日一花 川瀬敏郎』 「あとがき」より」 新潮社HPより
http://www.shinchosha.co.jp/tonbo/blog/kawase/index.html
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これだと思った。ここまで崇高な花をお伝えすることはできないにしろ、一日一花で、できることがあるなら、私も、そんな唐突な思い付きだった。
いうなら、花以想のFBページは、それを投稿する私の、川瀬氏に対する尊敬であり、オマージュである。そして、いまも変わらぬ東北復興への願いであり、これが私自身だ。
2年ほどまえ、この配信に対し「何をらしくもないことを」といわれ、ずいぶん落ち込んだこともあった。
どんなに強がっても、人の言葉に惑わされ、流され、自分を見失うことなんて、常だ。それでも、四季という同じ時の移り変わりに寄り添い生き、厳しい自然環境にあっても、不変の美と強さを知らしめてくれるのが、花の姿であり、それに助けられるのが、人の心だと思う。
私も花に助けられていた。でもそれに気が付いたのは最近のことだ。
気づけたきっかけには、出会いがあった。人であり、本であり、時である。
そんな出会いのおかげで、力が抜けた。ゆえに楽しめるようになったのでしょう。
だから出会いを届けたい。
花を知って、花に倣い「今自分にできること」それだけを信念に続けることは、チカラだと思いたい。
発信するには勇気もいる。多少は覚悟もしている。
でも、誰かの力になれるなら、心の根底にいつもその思いがある。笑っていてほしいと願う。発信の先にはいつも「あなた」がいる。だから続けている。それだけのことなのです。
一日一花に 祈りを込めて。
今日もいちりんあなたにどうぞ。