心を一本の花に託してきた日本人。心の数だけ花がある。

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「花以想」の名前の所以を聞かれることは多いのですが、なかなかまともに?回答できずにいたので、あらためて記します。花以想は「はないも」と読み、その意味は文字どおり「花を以って想い伝える」です。私達の花は人と人の心をつなぐために存在する、想いを「伝える」ための花です。
私たち花以想の花は、江戸時代より継承されるお生花様式、古流の流れを汲み明治時代に発足された「古流松應会」の9世家元 故千羽理芳先生に学ばせていただき、ドイツマイスターフローリスト ヴァルトラウト・マイシュ女史に師事し習得したドイツフロリスティックがルーツになっております。
日本で培われた「活け花」という文化は、植物の中に神を見出し、一期一会に重きを置き、花は現場で活け、空間の「瞬間を留める花」です。そのルーツがあるからこそ、昔も今も、私達の心に潜在する美意識には、つねに「心」を自然に託し、自然神への「祈り」が込められているといえるかもしれません。
そんな日本人の心に潜在する、シンボリックな花の存在を、より「伝える花」として一花でも多くの人の目に留めていただくには、「瞬間」の花から「可動可能」な花にする必要がありました。その一つの手段としてフラワーデザイン(フロリスティック)は花をデザイン・商品に位置づけ、花を束ねたり、装飾することによって、「花を以って想い伝える」ことを可能にします。これこそが私たち「花以想(はないも)」の花の原点です。
現代、社会的に「個人」への関心が高まる中、自然を見直す意識も高まりつつあります。いっときの時代を象徴した世を埋め尽くさんばかりのデコラティブな価値観は沈静し、私たちの職業においても、自然は単に「利用する」だけの存在ではなくなりました。戦後、技術進化を追求した代償として、自然破壊、異常気象が大きく影響し、生産地の減少は日本国内に限らず留まるところを知りません。しかしそれでも自然・植物は、どの国・歴史上においても、人の心を癒し欲求を満たし続ける存在でした。これから続く未来にあっても、その存在価値が変わることはないでしょう。
今私たちは、ただ美的追求と満足を求めるのではなく、もういちどこの職業に向き合うという意味においても、自然現象・社会・人への関わり方を考えていかなくてはならないと感じています。心を一本の花に託してきた日本人。心の数だけ花がある。そのことを、これからもこの花の力を借りて、伝えていきたいと思っています。今、私たちにだからできることを。
今日もいちりん あなたにどうぞ。
りんどう 花言葉「誠実」