彼岸前に

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静かな眼、平和な心、その外に何の宝が世にあらう。三好達治
その昔、家族がそばに居、友人が近くに居、の頃は、よくもわるくも、明けても暮れても同じ顔を付きあわせ、言う事は言いつくし、言わなくていいことまで言ってしまい、さっきまで良い気分でいたのに、たった一度のしくじりで、ああしまった、ああ嫌だ、と悔やみ悔み、好き勝手に心を乱したものでした。
時を経て、会うことのない人々でも親しく感じられるこの時代の妙、多忙な一日を終え、ひとりの時間を取り戻し静かになると、ぼんやり昔を思い出すこともあったりで、あちこちに散っていた思いが自分のところに戻ってくることがあります。
ある晩、ひとり物思いに更けていたら、ぼんやり両親や祖父母との古い記憶がよみがえりまして、なんとはなしに、バラバラにしまわれていた思い出の断片を、記憶の箱から取り出して、河原の小石を並べるようにして、いっこずつ頭の中に置いてみたのです。
その角のとれた石ころていどの思い出は、どれも色はなく、たまにヒビあり、いびつで、愛想なく、特に面白いこともなく、でも横に一列並べてみたら、なんとなく絵になって、それはとても愛おしく、悪くないなと思い、なんとなく笑いが込み上げたりなどし、そして人は、きっと身近な関係の違うところを認めあうことで、「感謝」を知るのだ、とふと気づいたのでした。
いつまでもいつまでも 気がつくことばかりで、よっぽど何も考えず、気にもせず、気づきもせずに生きてきたのだなあと思うこの頃です。9月23日は秋分の日。ご先祖様、家族に感謝を伝えるお彼岸です。やっと素直にありがとうが言えるようになった自分の心を、今は大切にしたいと思います。
今日もいちりんあなたにどうぞ。
バラ アンダルシア 花言葉「情熱」