春をあける黄色

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最近書くことが写経のようになってきた。とは言ってみたかっただけです。まあいいことではないか、と思いたいけれども、自分のすることなので、また3日坊主で終わる気がしてならない。 おわったら終わったなと見守ってください。 ただし、かけるうちは書いておきたいと思っています。
レンギョウ満開。先日入荷した一枝です。レンギョウといえば、4月2日は高村光太郎の命日で、「連翹忌」とよばれます。生前好んだ花がレンギョウだったらしく、高村の棺の上にその一枝が置かれていたことに由来するそう。よって、本来の開花はもう少し後ではないかと思う。マンサクやさんしゅゆに一歩遅れて咲く、この花を見る頃には、寒さも忘れる春本番となっていることだろう。
垣たまたま連翹黄なる春の小径小雨の里の人に寄りこし 与謝野晶子
寒さがぶり返し、またしてもうんざりとがまんくらべになる春先の三寒四温に、小雨に濡れてる黄色い花には少し同情する。黄色い花は地上の様子を太陽に知らせる花だから。太陽のもとで咲きたかろうにと思う。春の雨は心がふさぐし、私も太陽が恋しいと思うもの。
などといいつつ、実はレンギョウあまり好きな花ではない。この田舎臭い感じが好きではない。べったりと黄色いこの花よりも、初春の蝋梅の黄色の方が、ずっと女性的で艶めかしい。でも今日はこの満開がいじらしいので、よくよく眺め、そういえばモクセイによくにている、と思ったら、モクセイ科でした。そうならば、せめて香りがあったらよかったのにね。
生薬にも使われており、解熱、消炎、鎮痛に効くといいます。色のない冬、冬枯れの中に見る黄色は目が覚める。雪を割って咲くフクジュソウにはじまり、柑橘の黄もそうだし、スイセン、フリージアが球根からのびる黄色は、凍てつく寒さで冷えやせた気持ちを慰めてくれる。
でもあまり好きな花ではない。こんなことばかり言ってるから、また雨に降られるのかもしれない。
レンギョウの花言葉は「希望」「集中力」
2月28日。レンギョウが春をあけた。