イノベーションとポテンシャル

20131108.jpg昨日はサポタント株式会社主催のセミナーにて、佐々木俊尚氏のお話をうかがってきました。
http://www.webtant-seminar.jp/special/saisentan.html

「スマホ・タブレットを超える『ウェアラブル』の衝撃」と題した3時間。佐々木さんのお話を聞くのは今回が初めてでしたが、とにかく濃密で造詣の深い講演そのものが衝撃的で、私のようなIT素人でさえにわか理解に達した気になれるのは、さすがの佐々木氏の宇宙旅行的な話術のすばらしさと各種分野への理解の深さ。ぜひ皆さまにも、あのワクワクを体感していただきたく、次回セミナー開催の折にはふるってご参加ください(^^)
さてサブテーマだった「これからのテクノロジー時代の不安と喜び」という講演の中で「イノベーションとは、『技術開発』そのものをさす言葉ではなく、新しい技術をつかい新しい商品が世の中で機能を果たすことである」という話がありました。それを聞いたとき、なるほどと思わずうなったのは、最近よく耳にする「ポテンシャル」という言葉に通じるような気がしたので、以下考察です。
一般的に「ポテンシャル=可能性」と捉えがちですが、かねてより私が思うところのそれは、物理的(資金)または精神的(やる気)な「余力・可能性」をさすのではなく、目標を達成するまでに起こりうる、あまたのリスクに打ち勝つ物理的精神的な準備ができるかどうか、体力・精神力があるかどうか、のように受け止めていました。
ここがイノベーション=技術開発ではない に通じたポイントです。
私見ですが、ポテンシャルとは漠然とした「できる」ではなく、課した目標を「達成できる」かがポイントであり、それには物理的な要素のほかに、デメリットをポジティブに転換できる寛容さが不可欠だということ。またその事実を、素直に受け止められないと何も始まらない。と思っています。
したがって支援者や仲間が、その原石に将来性を感じても、当事者(社)が独りよがりだったり、食わず嫌いであったり、他力本願である限りは、なかなか変化しないよね、ということです。
自己完結せず、寛容になり、自分に課された使命を、いずれ社会に活かせる「可能性」に導くことこそが商人・ビジネスの「ポテンシャル」である、そんなことを昨日の「イノベーション」という言葉から、ふと思い、そして確信したのでした。
あ、肝心なウェアラブルとは「ユーザーと同じ方向を向き、寄添って支援するコンテキストデバイスである」ということで、それはいわば支援する立場とおなじだね、など人に置き換えて考えるのも楽しいひとときでした。
身の回りに可能性がゴロゴロしてるこの頃。皆で切磋琢磨できることが何より嬉しいきょうびです。