月と恋と花と

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日本には月と恋を共に詠んだ歌が多くあり、例えば西行の歌にも、花の歌に並び、月の歌が多く残されています。日の下で笑う花が陽ならば、夜を照らす月は陰。祝賀に色を添えるのが花ならば、鎮魂の祈りを捧げるのは月。花は外を向き、月は内を見る。花が瞬きの中にあり、刹那的であれば、月は一年を通し、夜空を照らす。西行にとって花と月とは、光と影のような相対する存在だったのかもしれません。
西行を語るには全く知識が足りませんが、歌を見るだけでも、きっと花を愛し月に恋した人だったのではないかと思います。西行の歌集「山家集」のなかにある 月恋歌には、恋の章に月の歌が37首もあります。そして、このような月と恋を掛け合わせた歌には、叶わぬ恋を映したものが多いのも興味深いところです。
『あはれとも 見る人あらば 思ひなん 月のおもてに やどす心を』
(もし今私と同じように月を見ている人がいたなら せめて哀れとでも思ってほしい 月に恋人の面影を偲び続け その面にいつまでも留まっている私の心を)
『弓はりの 月にはつれて みし影の やさしかりしは いつか忘れむ』
(弦月の光から外れて見た あの人の優美な姿を いつ忘れることがあろうか)
『面影の 忘らるまじき 別れかな なごりを人の 月にとどめて』
(いつまでも面影の忘れられそうにない別れ 別れたあとも あの人の名残りが 月の光のうちに留まっていて)
『恋しさや 思ひ弱ると ながむれば いとど心を くだく月影』
(恋しい思いさえも、逢えなければ弱ってしまうものだが、逢いたい人を想いながら月を眺めれば、心を砕くほどの自分の強い思いにためらうばかりで益々やるせない)
昔、英語教師をしていた夏目漱石は、生徒が「I love you」を「我君ヲ愛ス」と訳したのを聞き、「月が綺麗ですね」としなさい、それで伝わります。といったそう。
これ見よと云はぬばかりに月が出る 夏目漱石
月に語らせ、月を語らず、といったところでしょうか。明日(今晩)8月11日は、今年二度目のスーパームーンとのこと。台風一過の夜空に、美しく月がのぼることを願いながら、今日はこのへんで。それにしても、なぜ菊の花言葉は、こんな表裏な二つの意味をもつのかしら。なぜに恋愛ってこうも難しいのかしら。
キク 花言葉「やぶれた恋 真の愛」