佐藤春夫 「秋刀魚の歌」

更新日:2025.09.23 公開日:2014.09.19

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遠くの雲に夏をおいて秋は始まり、いま仲秋。花もうつくしけれどやはり食欲の秋、秋刀魚の季節です。夕暮れの茜に町が照り映える刻、秋刀魚焼く煙と脂が燃える匂いに気づくなり、たちまち家路を急ぎたくなるのは今も昔も同じでしょうか。


佐藤春夫の詩で「秋刀魚の歌」というのがあります。これは詩人佐藤春夫が、当時親交のあった谷崎潤一郎の妻千代へよせた思いが秘められている抒情詩として知られています。

恋多き男であった谷崎、その妻の千代が、夫の奔放な恋遊びに疎んでいたときに佐藤が寄せた同情の思い。そしてそれは、いつしか千代への愛情に変わり、やがて千代をめぐっては谷崎との間に確執が生じ、未は絶交に至る。という背景がある詩です。


この歌は、そんな谷崎との確執の中でつくられた恋歌ですが、しかし数年後には、谷崎とも和解して、春夫は千代と結婚した。というハッピーエンドつきです。

大人の恋は、痛みあって切実ですね。

そんな秋風に男心を託した恋歌には、こんなセンチメンタルな茜色が似合うかな。今日もいちりんあなたにどうぞ。


佐藤春夫「秋刀魚の歌」

あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児(こ)は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非(あら)ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児(おさなご)とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。


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