ささやかだけど役に立つこと

更新日:2025.07.24 公開日:2023.09.21

シュウメイギク 花言葉「忍耐」

「こんな時には、何かものを食べることです。
それはささやかなことですが、助けになります。」

アメリカの小説家レイモンド・カーヴァーをご存じでしょうか。

カーヴァーは短編小説・ミニマリズムの名手と称され
日本では、作家村上春樹さんが翻訳した全集などで知られています。

実は私、村上春樹もカーヴァーも
ほとんどの作品を読んだことが「ない」のですが、この

Carver’s Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選』に出会ったことで
村上さんの翻訳の文学に興味を抱くようになりました。

サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』もそのひとつです。

先の台詞は、このカーヴァー短編集におさめられている
『ささやかだけれど、役にたつこと』のなかにある台詞。

作品の中で書かれているのは、ある夫婦の朴訥とした日常です。

それは日記にも手紙にも記されない不可視な日常ですが、
そんな見知らぬ人の何でもない日常であるのにもかかわらず、

読むたびに引き込まれ、ちいさな感動がさざ波のように、体の中に広がるのを感じます。

小説の面白さのひとつは、自分の日常では出会えない
景色や体験、人の感情に触れることが出来ること。

誰の眼にも留まらない「日常」を切り取ったカーヴァー、
その視点に寄り添った翻訳、この作品に出会えたおかげで、私は

他人に知られることのない苦しみにも、救いはあること、
役に立つ何かがある(かもしれない)ことに、気づかされました。

目に映ることばかりが「頼り」になるのではなく、
目には見えなくても「信じる」ことができれば、

人はそれを支えにして、生きていける。

読むたびに、そんな想いが込みあがり、大げさではなく
「生きること」「生きかた」について考えます。

すると間もなくして、胸の奥から

ささやかだけど役に立つこと。
ささやかだけど役に立つことを。と

さざ波のように聞こえてくるのでした。

簡単なあらすじ

ある夫婦が、愛息の誕生日にパン屋にケーキを予約しました。
ところが誕生日の当日、あろうことか息子は交通事故に巻き込まれてしまいます。

病院で昏睡状態の息子に付き添うことになった夫婦は、
予約したケーキのことをすっかり忘れてしまいます。

しかしそんな状況を知らないパン屋は、
予約客である息子の母親に、何度もしつこく電話をかけ続けました。

誕生日から数日後、夫婦の息子は亡くなりました。

悲しみに暮れる中、突然ケーキのことを思い出した夫婦は、
あわててパン屋に向かい、息子が事故で亡くなったことを話します。

しかしまったく愛想をみせないパン屋を相手にしているうち、
とうとう母親は、やり場のない悲しみと憤りを爆発させるのでした。

「あの子は死んだの。死んだのよ、こん畜生!」
「こんなの、こんなのって、あんまりだわ!」

すると予約をすっぽかされたことで、冷淡な態度を崩さなかったパン屋も、

夫婦の不幸を知り、まもなくして声をかけ始めました。

「あんたのお子さんのことはお気の毒だった。
そしてあたしのやったことは、本当にひどいことだった。」

パン屋は、焼き立てのパンとコーヒーを夫婦に差し出しました。

「良かったら、あたしが焼いた温かいロールパンを食べてください。
ちゃんと食べて、頑張って生きていかなくちゃならんのだから。」

「こんな時には、何かものを食べることです。
それはささやかなことですが、助けになります。」

愛息を失い孤独と悲しみにひしがれていた母親でしたが、
急に空腹を感じて出されたパンを食べだします。

パン屋はそれを見て喜び、自分の人生について話し始めます。

それは夜が明けるころまで。