洒涙雨(さいるいう)

■ 七夕に降る雨 ― 万葉集の歌から
このゆふべ 降りくる雨は彦星の
早こぐ船の 櫂の散りかも
― 万葉集
今日の夕べに降る雨は、彦星が織姫に逢うために急いで漕ぐ船。その櫂から滴り落ちる水なのではないか──そんな風に歌った万葉集の一首です。
ここで詠まれている「櫂(かい)」とは、西洋でいう「オール」にあたります。七夕の夜に降る雨を、織姫に逢いたい一心で舟を漕ぐ彦星の櫂の雫に見立てる。この想像の豊かさと叙情は、古代から七夕の物語が人々の心にどれほど深く息づいていたかを感じさせてくれます。
■ 洒涙雨(さいるいう)という言葉
陰暦七月七日、七夕の夜に降る雨を「洒涙雨(さいるいう)」と呼びます。
この雨には二つの意味が込められています。ひとつは、牽牛と織女が年に一度の逢瀬を果たし、その別れを惜しんで流す涙。もうひとつは、もし逢うことが叶わなかったときに、悲しみに暮れて流す涙。そのどちらであるかは、受け取る人の心によって違うのでしょう。
日本には「時雨」「翠雨」「涙雨」など、雨を表す多彩な言葉があります。その中でも「洒涙雨」という表現は、物語と結びついた奥深さと陰翳をまとい、特別な響きをもって心に残ります。
■ 七夕と雨の情景
七夕は星空を眺める行事であると同時に、雨と深い関わりを持つ日でもあります。晴れれば天の川が鮮やかに輝き、ふたりの逢瀬は成就したと喜ばれ、雨が降れば「洒涙雨」として、ふたりの切なさを想う。天候そのものが物語に直結しているのが、七夕の大きな魅力でしょう。
そして七夕にまつわる歌や言葉は、ただ恋人たちの物語にとどまらず、私たちの人生にも重なります。会いたくても会えない大切な人、すれ違いながらも心に抱き続ける想い。星や雨を通して、遠い誰かを思う気持ちに寄り添えるのが七夕の夜なのです。
■ デルフィニウムと慰めの花言葉
この「洒涙雨」の情景に寄り添う花として思い浮かぶのが、青く凛とした花姿を持つデルフィニウム。花言葉は「あなたを慰める」です。
青い花弁が重なり合って咲く姿は、夜空に瞬く星や、天の川のきらめきを思わせます。その花言葉のように、涙に濡れる心をやさしく慰めてくれる存在。悲しみを抱えながらも、そこに静かな希望を灯してくれる花です。
デルフィニウムは、初夏から盛夏にかけて咲く花。七夕の時期にも重なり、天を仰ぐようにすっと伸びるその立ち姿は、織姫と彦星を結ぶ橋のようにも見えてきます。
■ さいごに
今年の七夕は二日あと。ふたりの逢瀬は果たされるでしょうか。空を仰ぎながら、もし雨が降ったとしても、それを「洒涙雨」と呼び、ふたりの愛のしるしとして受けとめる心を持ちたいと思います。
星の光と雨のしずくが重なり合う夜。そこに咲く花々もまた、私たちに静かに寄り添ってくれるのかもしれません。
今日もいちりんあなたにどうぞ
デルフィニウム 花言葉「あなたを慰める」

インテリア系専門学校に進学後、進路転向し花の世界に。ドイツ人マイスターフローリストに師事。2000年に渡独、アルザス地区の生花店に勤務し帰国後、2002年 フラワーギフト通販サイトHanaimo開業。趣味は読書、文学に登場する植物を見つけること。高じて『花以想の記』を執筆中。2024年 5月号『群像』(講談社)に随筆掲載。一般社団法人日本礼儀作法マナー協会 講師資格。