ハス 花言葉「清らかな心」

更新日:2025.10.02 公開日:2014.08.13
ハス 花言葉「清らかな心」

おのづから月やどるべきひまもなく池に蓮の花咲きにけり 西行


お盆をむかえました。お盆は仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」を略したもので、語源は梵語の「ウランバナ」、地獄の責め苦から救うという意味があります。餓鬼道に堕ちて苦しんでいる弟子の母を、お釈迦様供養して救うことができたという故事が始まりです。


さて、「一蓮托生」という言葉がありますね。仏教で「よい行いをした者は、極楽浄土に往生し、同じ蓮の花の上に身を託して生まれ変わる」という意味があり、転じて、事の良し悪しにかかわらず、互いの運命をともにすることを言います。

「一蓮托生」という言葉を、日々の暮らしや身近な人間関係に重ねてみると、少し違った温かさが感じられるように思います。仏教の教えに由来するこの言葉には、本来「善き行いをした人々が極楽浄土で同じ蓮の花の上に生まれる」という意味がありますが、現代に生きる私たちにとっては、家族や友人と「喜びも悲しみも共にする」という実感に通じていきます。

たとえば家族。血のつながりがあるからこそ、嬉しい出来事も、苦しい出来事も、自分一人のものではなく、自然と共有されていきます。子どもの成長に心から喜び、親の老いや病に胸を痛める。配偶者やパートナーと共に築いてきた生活も、ときには思いがけない困難に直面することがありますが、「一緒に乗り越えよう」と思える存在がいることで、道のりが少し和らぐことがあります。

友人との関わりもまた、「一蓮托生」の響きを持っています。学生時代からの友人、社会に出てから知り合った仲間。立場や暮らしが変わっても、相手の喜びや苦労を自分のことのように受け止められる関係は、人生の支えとなります。誰かが失敗したときに「大丈夫だよ」と寄り添ったり、自分が迷ったときに背中を押してくれる言葉をかけてもらったり。そうしたやり取りは、肩を並べて咲く蓮の花のように、互いの存在を美しく映し合います。

もちろん、人間関係はいつも順調というわけではありません。ときには価値観がすれ違ったり、距離を置かざるを得ないこともあるでしょう。それでも、一度心を寄せ合った時間は確かに残り続けます。たとえ離れても「あなたの幸せを願っている」という思いを持てること自体が、「一蓮托生」という言葉に通じるのかもしれません。

現代は、SNSやオンラインのつながりが日常になり、顔を合わせなくても交流できる時代になりました。便利である一方で、表面的なやり取りにとどまりがちな面もあります。だからこそ、実際に会って語り合ったり、苦しい時に手を差し伸べてくれる存在のありがたさは、より際立って感じられるのではないでしょうか。大切なのは、数の多さではなく、互いを信じて支え合える関係がひとつでもあること。その関係は、どんな華やかな交友よりも心をあたためてくれます。

「一蓮托生」という言葉を思い浮かべるとき、それは重々しい誓いでなくてもよいのかもしれません。「あなたと一緒に笑いたい」「そばで寄り添いたい」その気持ちの積み重ねが、自然と互いの人生を共にすることにつながっていきます。蓮の花が泥の中からすっと立ち上がって咲くように、日常のささやかなやり取りの中からも、清らかなつながりは育っていくのだと思います。


さいごに、蓮の花が生息する泥水は、私たちが生きている俗世と考えられ、その中で美しく咲く蓮の花は、悟りの境地の象徴です。ご先祖さまを迎える一日に。

今日もいちりんあなたにどうぞ。


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