花森安治

「花森安治の仕事」展をみてきました。初めて訪れた世田谷美術館。市場の隣に砧公園とこんな素敵な美術館があるなんて、ご近所のお花屋さん、世田谷市場を使うひとたち、何ともうらやましい限り。

月曜日は、かねてより「ご一緒しましょう」と約束していたお友達と二人で。そして金曜日に再び。世田谷市場でのしごとが急に入ったのでその帰りに。なにせとても良かったので。

ジャーナリスト、生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者として、その名を知られるところですけれど、個人的には、グラフィックデザイナーとして残した作品にとても興味をもっていたので、この展示にて、暮らしの手帖の表紙ばかりでない、初めて目にする戦中戦後に手がけた多くの装丁と作品、その遍歴に触れることができたことは、大変な満足だった。

そうそう、実は昨秋から、花の仲卸業者であるフローレ21にて、営業企画の業務に関わらせていただいてるのだけれど、過日発行されたホットニュース(フローレ発行のメルマガ)で、小池社長が自身のコラムでこの展示について書かれていていたのがとても印象深かった。ので、ここに転載をさせていただきます。東京は9日で会期終了しましたが、今後関西ほかで開催の折には、ぜひ足をお運びください。おすすめ。

 

※1 会期は4月9日まででした。

砧公園の桜。見頃にみれて、今年の桜はほんとうによかった。

 

春うらら

春うらら。東京の街中の木々も、うっすらピンクに染まり始めました。桜、木蓮、ハナミズキ。どの季節にあっても、花々が魅せる自然の神秘は感動を呼び覚まし、そして私たちの心に深く刻まれていきますが、春はやはり格別ですね。今年も一緒に眺めたい景色ばかりです。ほんとうに(^-^)

今日もいちりんあなたにどうぞ。

ハナカイドウ 花言葉 「温和」

指月の喩

「指月の喩(たとえ)」とは禅の経典にある問答の中の言葉です。

言葉というのは発したかぎりは言葉(指)にすぎないけれど、本来、言葉が伝えようとしているのは、その先にあるもの(月)こそであり、それが何より大事なのだ。そんなことを言っています。

この喩は、どちらがどうあるべき、というよりも、伝える側にも、月がどのようであるか相手に伝わるように言葉を使うことが大切であるし、きく側は、指(言葉)の先に何があるのか、そのことに心をかけてみなさい。という訓えと、解釈しています。

「ひとは対人が指さすと、その指先ばかりみて、指の先その向こうにある月を視やしない。けれど相手が見てほしいのは指先なんかじゃなくて、あの月なんだよ。」

自分の中の常識をちょっと下におろして、ほんの少し心を遣うだけで、もしかしたら、今まで気がつかなかった月の美しさに、出逢えるのかもしれませんね。

今日もいちりんあなたにどうぞ。

アスター 花言葉「信じる恋」

4月になりました

四月になりました。卯月とは、十二支の卯(うさぎ)が4番目に来る「4番目の月」からとの説もあります。

今日から新年度。近年ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)という言葉を耳にする機会がふえました。それだけ女性の活躍の場が広がったことを意味するのだと解し、また伴い、公私におけるバランスの難しさを感じる人も多くいらっしゃるのだと受け止めています。

とかく日本女性は、100%うまくいくことを求めたがるところがあるそうです。しかし欧米では100%は神様のお仕事、という考え方があるとのこと。故に私たちは100%はやってはいけない、ということを意味するのだといいます。

たしかに真正面から突きつめることも大切だけれど、必ずしもそれが、絶対一致するということはないという視座も、持ち合わせていたいものです。

ゆるやかなつながりの中でも、ひとの生き方を知り、自分をたてながら生きていけるなら、それもスタイルですね。何をするか、どこに住むか以上に、どのように生きるかを考える力は、きっとこれからのあなたを支えることでしょう。新生活にエールをこめて、今日もいちりんあなたにどうぞ。

映画を見ることは
どう生きるかを考えること。
それは大きな喜びです。秦 早穂子

ヤマブキ 花言葉「待ちかねる」

勝手にしやがれ

1950年代、フランスのヌーヴェルバーグ(新しい風)の誕生をうけ、その後多くのフランス映画が日本にも輸入されるようになった。当時、まだパリでも知られていなかった映画『A bout de souffle』を世界で最初に買い付け、日本に持ち帰ったのが秦 早穂子さん。近年は映画評論家としてご活躍されている。

彼女は、原題が『息切れ』であったその映画に『勝手にしやがれ』と邦題をつけ、日本の配給会社へ持ち帰った。いわく「当時の日本にパリに怒りがあった。日本では敗戦後の焼け野原に、フランスでは外国人への排他的な態度に、そして映画人に対して無理解な大人たちへ。私はそれらへの怒りを、この映画のタイトルにつけたのだ」と。

私はその記事を、数年前に何かの雑誌で目にし、そのインタビュー記事をノートにメモしてい、そしてすっかり忘れていたころの最近に、たまたま彼女の名前をWEBで見つけて思い出した。

最近本ばかり読んでいるのだけれど、昔の日本には、松下幸之助しかり、本田宗一郎もそうでしょうか、経営者に限らず映画監督、脚本家、文学者であれ、今にくらべもっと社会や人を動かすほどの強い言葉を、発する人が数多くいたように感じる。そしてどの言葉にも、怒るばかりではない勇敢さがあったように思う。

人は不安な時には立ち止まり、危機感を感じたときに行動するもの。もしかしたら現代は危機感というより、漠然とした不安を抱えている人が多いのかなと思う。危機感が泳げば渡れる海だとしたら、不安は足のつかぬ沼地のよう。泳法を知っていても使えないのだから、沼のほうがよっぽど深みにはまれば苦しかろう。

このところ人の吐露をきくことが多く、きくことしかできないのだけれど、不安げに笑顔をみせる彼らを見てて、そんなことを考えた。

春のはじまりに

写真は写真を見るだけで、自分もそこにいるような気分になれます。映画は映画の中に、揺れる人間の姿を見て、そんな生き方もあると想像することができます。言葉は、それで100%の真実を伝えることはできませんが、言葉には心の流動があります。たとえばあなたの日記にも、かつて読んだ小説にも、時を刻んだ随筆にも。

芸術であれ、実用であれ、殊によい表現のされたものとは、眼に研ぎ澄まされているばかりになく、触れるものに喜びを、真にどう生きるかを考えさせる力があります。

ときには心をまっさらに、みずみずしい感性で、新しい物ごとに触れてみるのもよいものです。春のはじまりに。今日もいちりんあなたにどうぞ。

イベリス 花言葉「心を惹きつける」

文章読本

白楽天の心がけ、とは、谷崎潤一郎の「文章読本」にある言葉。そこには、むかし唐の大詩人であった白楽天が、自分の作った詩を発表する前に、その草稿を無学なお爺さんおばあさんに読んで聞かせ、彼らにわからない言葉があるならば、躊躇なく平易な言葉におきかえた。という逸話が引用されている。

要約すると、文章にはわかりやすい言葉を用いることが原則であり、故意であれなしであれ、自分の学問や知見や頭の働きをそのままに言語化すること、また人がつかわない用語を多用するなどの、異を樹てようとする根性は改めなさい、ということが書いてある。

私にしてみたら、語彙をおおくに駆使できて、流暢に言語化できる人には尊敬も羨望もあり、けれど今に、言葉や文字の表現が万能ではないことを弁えること、饒舌を慎むことも相手への心がけであり、相手にとって分かりやすいこと、その配慮があって真のたしなみだ。と言われれば、なるほど、それでいいか。と思うのでした。

言葉はその場で感動させるように話し、文章はその感銘が長く記憶に残るように。と記されています。日々勉強。

 

 

 

高峰秀子さん

昭和初期、戦前戦後を通じて日本映画界に花をそえた女優のひとりに、高峰秀子がいる。女優時代からエッセイストとしても活躍し、2010年に亡くなるまでそれはそれは多くの本を出版し続けた方だ。

20代の時分、古い日本映画にはまっていた時期がありまして、故に彼女の存在もはやくから知っていたのですが、亡くなった当時、たまたま書店にいけば、彼女の書籍が店頭で平積みになっていて、なんと銀幕だけでなくこんなにたくさんの作品を残した人だったんだと、あらためて驚いたことを思い出す。

そんな彼女の訃報を機に、それまで古い映画の中でしか見たことのなかった女優のエッセイを、数冊手にし読んでみたらこれが面白かった。そこにはかつての日本映画界を支えた大女優、という縛りを掃った、ただ一人の女性としての生き様が描かれていて、当時まだ私は20代であったけれど、何とも潔いばかりの気概ある生き方に触れるのは、流行りのTVドラマを見るよりもずっとずっと爽快で愉しかったのを忘れない

エッセイストであった彼女が後世に残した言葉は数多く、そのなかでも私は「私は考えても仕方のないことは考えない。自分の中で握りつぶす」というのが、今でもなんだか好きで。なにせ考えすぎるが性分の自分には、こんな痛快な一言さえあれば、いつでも手本になったし、影響を受けたわけではないのだけれど、「嫌なことがあっても、そんなものは胸の中で握りつぶす。」と唱えていた自分の言葉と、偶然くだりが同じだったのだ。

彼女の生い立ちや至極苦労した人生のなりゆきは知られるところだが、しかしそこに強い共感をもったわけでもなく、ただ屈託ない洞察眼と、歯に衣きせぬ断言は、自分が四十半ばとなった今こそ、ハンサムでカッコいいなあと思います。

ちなみにのちに高峰の養女となった斎藤さんの書くエッセイは、当時高峰秀子を失くした傷心と私情、高峰愛に溢れすぎていて、客観性に欠けるあれは私にはとても読めませんでした。ですが、本人の残したエッセイは、今もそれぞれによく、女性にはおすすめです。ご興味あればぜひ。