買ったものより記憶に残ることを

ある日お電話で「毎年贈っていた記念日の花、毎年頼んでいた花屋さんがあったのだけど、知らぬまに無くなってて。どうしたらいいでしょうか」という相談があった。

記念日は今日で、時は午後1時過ぎ。残念ながら私たちが直接力になることはできない、けれど残された可能性を信じ、いくつかの方法をご提案した。

途中ふと、ちなみに花じゃなくちゃだめですか?と聞いてみたら、できれば!と即答するから二人で大笑いしてしまった。記念日にきもちを贈るために、もしこの状況で、もし花にこだわらなければ、なにか出来ことがあるかもしれない?と思ったのだけれど、あれはいささか愚問だったらしい。

結局のところ何か役に立てたとも思えぬ事の末、願をのせて「叶いますように!」と声をかけると「がんばります!」と男性は笑って応えてくれた。その声がまるで「いってきます!」にも聴こえて、今でもあの15分程の妙な掛け合いを思い出すたび、ひとりじわじわと可笑しくなる。

彼との会話から、またどこかの町のお花屋さんが無くなったと知ったのは寂しかったけれど、それでもお花を贈りたいという気持ちが知れたことは嬉しかった。見ず知らずの彼の、誠実さの中にあるユーモアが伝わってきたことも嬉しかった。本当はその人柄を花で伝えたかった。

そんなある日の出来事を思い出したとき、もらったものが買ったものより記憶に残ることを、なんだかとても魅力的に思った。そんな花屋があってもいいような気がした。いろんなものをただあげたくなって、それをいちりんにしたあれはいつだったろう。花のちからを信じて、今日もいちりんあなたにどうぞ。