お届けしたお花の画像を送っています。

ご依頼主様へ、お送りするお花の画像をメールでお送りしています。「画像サービスは初めてでした!」というお声をいただくことは現在も少なくありませんが、17年続けているこの画像サービスは当初から変わらず無料でご案内しています。

私たちのお花はすべて東京一拠点から全国へ発送しています。週に3回お花を仕入れし、ひとつひとつリクエストを確認しながら、すべて私たちが制作しています。そして画像は、出荷する直前に写真を撮っています。そのため、ご依頼主様へのご報告は事後になってしまいますが、基本的にはメールアドレスを頂いたお客様へは全員にお送りしています。

そもそもなぜこの画像サービスが始まったかというと。HANAIMOがフラワーギフトの通販店として開業したのは今から17年前のこと、2002年その当時、世の中ではまだインターネットを介して買い物をすることが一般的ではありませんでした。が、そんな時代にも花を通販でお求めになるお客様は既にいらしたんですね。

30を過ぎて独立をし、これまでの対面販売ではなくインターネットで店舗をもつことを決めた私はまず、このパソコンのむこうで、お客様が一番不安に思っていることは何だろう?と考えたんです。

新調したばかりのパソコンを前に、このハコ(笑)が何を叶えてくれる玉手箱なのか皆目見当つかないのは、私自身も同じでした。ですから、お客様の不安を自分ごとにおきかえることは容易で、「もしも自分だったら、このハコの向こうから何をされたいだろう」と考えんです。

たまたま見つけた顔が見えない店で買い物をするときに、もし自分だったら、されて嬉しいサービスは何だろう。そこで真っ先に思いついたのがこの「画像サービス」でした。

どんなお花が届いたか、どんな状態で届くのか、本当にリクエストには答えてくれたのか、一番知りたいことを「あたりまえ」に届ける。それが通販をし宅配で花を送る私たちの「責任」とさえ思いました。他社がしていないからといって、自分たちもしないという発想はひとつもありませんでした。なぜなら喜ぶ顔が眼に浮かぶからです。

このサービスには私たちにとってもいいところが多くあります。たとえば、お客さまと画像を共有することで、万が一の時の確認も一緒にできますし、いただいたご指摘も、より早い段階で改善へ繋げることができます。だから無料なんです。私たちにとっても学びの多い大切なサービスだから。

このサービスを続けることで「ごまかしがない仕事」を届け続けることができる。そんなふうに思っています。そう実は花も「ごまかさない」ために、ありのままをお客さまと共有するために、白バックで写真を撮っているんです。

さて、いつもはそんな白バックでお送りしている写真ですが、実際に手にするとこんな感じ。こちらはご主人から奥様へ、サプライズの花束。奥様のお好きな色と花のリクエストをいただき、ボリュームたっぷりに束ねました。

これからも皆様の「こんなことできない?」に応えてまいります。私たちらしい花を、あなたらしい花を、これからも一緒に届けてまいりましょう。ぜひまたいつでもお声がけくださいね。

喜びをみつけ、きもちが沈んだら笑う。

誰かが喜んでくれることほど嬉しいことは、人にとってない。どうすれば喜んでくれるだろう。あのひとの本当の幸せはなにかしらと、思えることは幸せなこと。相手の本物の幸せと喜びは、きっと自分にも連鎖するから。そんなふうに思っています。

善人ぶるつもりはなく、ただどういうわけか自分が辛かったり哀しいときほど、自分のことを余所にして、ひとの事ばかり一生懸命に考えてしまう変なクセがあり。そのひとが損しないためにはどうすればいいかとか、相手にとって本当に大切なことは何だろうと、余計なお世話と知りながら、何の役にも立たないのにあれこれ考えはじめてしまうのです。

今月はなんだかやたらに忙しかったから、沈む暇もなかったけれど、喜びをみつけ、きもちが沈んだら笑う。そう思って過ごしていました。そんなひと月を振り返っているなか届いた一通のメール。

 

お世話になります
この度はありがとうございました

贈った相手や一緒に贈ったメンバーにもとても喜んでもらえました
ありがとうございました

・電話対応
・丁寧な説明
・すばらしいご提案
・出荷までのスピード
・注文からフォローまでの完成された仕組み
・お花のセンスやクオリティ…とにかくおしゃれ

全てが最高でプロフェッショナルでした
とても喜んでいただけました ありがとうございました

 

嬉しい言葉を目にするたびに、まだまだ。まだまだって思います。そしてきっとまた、あなたはどうすれば喜んでくれるだろう。あなたの本当の幸せはなにかしら。あなたにとって本当に大切なことは何ですか。余計なお世話と知りながら、私はきっとまたきっと、いつまでも考えているのだと思います。

私淑。ひそかにこれを人よりうけてよしとするなり。

私淑。直接教えを受けることはできないけれど、尊敬する人をひそかに師として仰ぎ学ぶこと。

「子は私(ひそ)かにこれを人よりうけて淑(よし)とするなり」この言葉をうけて、真っ先に思い浮かんだ顔がありました。

とてもできる人なのに偉ぶらない。わけ知り顔もしない。無闇な批評もしない。言葉で尽くさない。仕事ばかりしてるがそればかりでもない。自由を受け入れてくれるパートナーや家族への敬意も忘れない。そして愉しんでいる。

きっと本人は、あたりまえの事をあたりまえにしているだけ、というかもしれない。けれどあの謙虚と敬意と地道な百戦錬磨を知れば、優れた人がより強く大きく進化し続ける理由は他にないと思うのです。

子は私(ひそ)かにこれを人よりうけて淑(よし)とするなり。

大きな存在に出会い、自分が小さいと知れたことは、私に大きな価値を与えてくれました。彼は友達、私淑の友です。

よろこびは直ぐ消えるのに寂しさはなかなか消えない。

しごと柄、毎日お花を送りながら、毎日誰かのお別れに接しています。

先日のある著名人の旅立たちにも、ご家族へお花を送らせていただきました。今日ニュースで知ったあまりに唐突な訃報は、個人的なことですがおなじ女性として母として他人事に思えませんでした。謹んで深い哀悼の意を表明するとともに、心からのお悔やみを申し上げます。

ご不幸に接したときのお花の贈り方について、日々さまざまなご相談をいただきます。今日お電話いただいた方は、急に接したお別れと複雑な自身の立場に阻まれ、どのように弔意を表せばよいのか判らず戸惑っていました。

人の生き方がみな違うように、人の悲しみもすべて違う。似てると思えても同じことはありません。そばに寄り添えるのは心ばかり。どんなに耳を傾けても、すべてを理解はしてあげられない。それでも、言えぬ悲しみや寂しさを知らせてくれる人がいるから、私はここにいようと思います。

よろこびは直ぐ消えるのに寂しさはなかなか消えないね。ぬぐえども拭えども。今日の彼女へ、心の中から声かけました。


買ったものより記憶に残ることを

ある日お電話で「毎年贈っていた記念日の花、毎年頼んでいた花屋さんがあったのだけど、知らぬまに無くなってて。どうしたらいいでしょうか」という相談があった。

記念日は今日で、時は午後1時過ぎ。残念ながら私たちが直接力になることはできない、けれど残された可能性を信じ、いくつかの方法をご提案した。

途中ふと、ちなみに花じゃなくちゃだめですか?と聞いてみたら、できれば!と即答するから二人で大笑いしてしまった。記念日にきもちを贈るために、もしこの状況で、もし花にこだわらなければ、なにか出来ことがあるかもしれない?と思ったのだけれど、あれはいささか愚問だったらしい。

結局のところ何か役に立てたとも思えぬ事の末、願をのせて「叶いますように!」と声をかけると「がんばります!」と男性は笑って応えてくれた。その声がまるで「いってきます!」にも聴こえて、今でもあの15分程の妙な掛け合いを思い出すたび、ひとりじわじわと可笑しくなる。

彼との会話から、またどこかの町のお花屋さんが無くなったと知ったのは寂しかったけれど、それでもお花を贈りたいという気持ちが知れたことは嬉しかった。見ず知らずの彼の、誠実さの中にあるユーモアが伝わってきたことも嬉しかった。本当はその人柄を花で伝えたかった。

そんなある日の出来事を思い出したとき、もらったものが買ったものより記憶に残ることを、なんだかとても魅力的に思った。そんな花屋があってもいいような気がした。いろんなものをただあげたくなって、それをいちりんにしたあれはいつだったろう。花のちからを信じて、今日もいちりんあなたにどうぞ。

あたたかな沈黙

口下手な人について知っていること。無口だからといって無知ではないこと。黙っているけど心を閉ざしてはいないこと。人の世話をやくのは苦手、でも心が空っぽなわけでないこと。

居るのに介入らないのには、時に理由があること。ことば巧みな人にくらべると、まるでだめな人に映るかも知れない。けれどその無口は正当な沈黙であること。

口下手な人にしてみたら、うまく伝えられないって損かもしれない。でもあなたの沈黙には人を応援する気持ちとあたたかな許しがある。孤独を感じさせない温度がある。

あたたかな沈黙。私が知っているあなたです。

人の幸福が星ならば、人を思えるって幸運だ。

あるとき、日々のしごとをなんとなく振り返りながら、表現することについてあれこれ考えていました。

世の中にはいろんな表現物があるけれど、どんな地味な産物であれ、生み出されるものは皆、人の幸せを叶えるために存在しているはず、そんなことを考えていました。

たとえば椅子のカタチも、街中のサインも、電車の中吊り広告も、サービスも、人が表現するものは何だって、人を思い、人を支え、人を助け、人を愉快にもし、人を慰めもし、人を喜ばせ、人を幸せにするために生みだされている、ということを。

ものごとの至る道のりや見え方は違っても、この世に生みだされるものは皆「人の役に立つため」に存在するのだ、ということを。

そんなことを考えていたら、しごとをする上で人の幸せというのは、まるで北極星のようだと思ったのでした。

もしも人の幸福が星ならば、人を思えるって幸運だ。なぜなら誰かを思い続けるかぎり、私たちはあの星に照らされ、自分の道を見失うことはないのだから。

まいにち想像力

まいにち顔の見えない方とのやりとりを数多くしていますが、あいてがどんな人か何を考えているか知らなくても、力になれないかなと想像することは、なんとなく、毎日こなす宿題ドリルに似てるなと思いました。

それは「正解を見つける事が目的じゃなく、毎日続けることが目標」であるドリルのように、「知る」「解る」といったゴールや正解がない「想像」も、ドリルや朝晩のハミガキと同じくらい、私にとって暮らしの中の習慣だからであり、苦でもないからです。(今もドリルってあるのかな)

ところで想像って、そのゴールも正解もないところが楽しいと私は思うのですが、これは人によるみたい。「優しさは想像力」という言葉が好きですが、これを思い出すたび、私の想像力にはまだまだ優しさが足りてないと思う日々。楽しんでばかりもいられません。

優しさは想像力 まいにち想像力

無力と思えば時は止まる。けれど私たちの優しさは無限だ。

今日は受注スタッフがお休みだったので、ひさびさにPCの前で仕事につきました。朝から一件ずつご注文に目をとおし、伝票に起こしていくのですが、どのオーダーにも素敵なメッセージが添えられていて、あらためて私たちのお客さまは素敵なひとばかりだと、気持ちが穏やかになりました。

もちろんなかには、悲しみに接したときのお花も多く、でもそこにこそ独特の独自の言葉が添えられていて、本当に頭が下がる思いです。

天国にいったお友達のお母さんに向けて「Tの最高のお母さんへ」と書き出したメッセージがありました。そこには「Tのことは、私たちにまかせてね」と書き添えてありました。

とある方の古希のお祝いには「家族総出でお祝いします!」と書いてありました。底抜けに明るい家族の雰囲気、仲の良さが伝わってきて、こちらまで元気になります。

また今日お預かりした、とあるお誕生日のメッセージには「**ちゃんは今、どんな気持ちで過ごしているのだろう、と想像した時、明るい色が浮かんだの。」と書かれていました。友達の誕生日に「今ごろ彼女は」と想像する、この愛情と思いやりの深さ。これまでの自分には、そんな気遣いはあっただろうか。

そんなひとつひとつに目をとおし、素敵な家族だなあ、仲良しなご夫婦だなあ、なんていい友達と眺めていました。すると、さいごに目をとおしたオーダーにこんなメッセージが。

***

おととしに、はないもさんを知り、母へ、お誕生日プレゼントとして、はないもさんの作ったお花をプレゼントしたら、『お花への愛が、すごく感じられる』と言って、母は、ものすごく喜んでくれましたので…..今年もよろしくお願いします。

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その愛は皆さんからの愛。それは謙遜なんかじゃなくて、ほんとうに本当に。

こんなふうに、私たちのもとには毎日たくさんの愛が届きます。哀しみの中にも、祝福の中にも、毎日たくさん。何とかそれに応えたい。私が思うことはそれだけです。

 

無力と思えば時は止まる。けれど私たちの優しさは無限だ。

 

 

言葉が見つからない

ある日のこと、お電話でお花の相談を受けながら、お花に一言添えたいのだけれど「言葉が見つからないんです」と言われ、そうですねえ何と書き添えましょうかと、しばらくお話をしていました。すると聞いているうち、なんとなく「だったら、そのまま伝えたらどうですか?」という応えに至ったんですね。

今こうして一緒にいろいろ考えたけれど、なんだかもう、誰かが作った例文なんかより「言葉が見つからなくてごめんなさい」と書いたほうが、今のきもちが率直に伝わるんじゃないかしら。だって本当に、今は悲しくて言葉が見つからないんだもの。とお伝えしたら、「そうですよね。そうなんですよ(笑)」と。だって言葉が見つからない中で言葉を見つけるって、本当にむずかしいじゃないですか。

このケースとは別に、お花をおくることを考えている最中に、ずっと自分の中にしまっていたメッセージを思い出す人がいらっしゃいます。でもうまくまとめられなくて、悩んでしまって、思わず電話をかけてみた。そんな方はよくいらっしゃいます。

お電話で話しているうちに気持ちの整理もできてきて、伝えたいことがわかってきて、すると言葉にしたかったことも鮮明になってきた。そんな様子が電話の向こうから伝わってきて、いよいよお花どうしましょうか(笑)なんてこともあります。

私は、お花も言葉も贈る人の「らしさ」を大切にしたくて、その点でいえば花にそえるひとことやお手紙も、必ずしも美しく立派な文章になっていなくてもいいと思っているんです。もちろんそれだけではいけない。世間一般の常識や、地域での習慣や、マナーや環境や背景もみなくてはいけないけれど、けれどあなたらしい花、言葉、それがいちばん相手を幸せにすることは本当。言葉が見つからない中で見つけるべく言葉があるとしたら、それはあなたが今感じている想い(言葉)だと信じています。

でも悩むんですよね(笑)

なのでまた不安になったら、いつでもお電話ください。ということで。

 

先述のAさんが、言葉が見つからない中で見つけた言葉。

「言葉が見つからなくてごめんなさい。でも私はいつでもあなたのそばにいます。」