花森安治

「花森安治の仕事」展をみてきました。初めて訪れた世田谷美術館。市場の隣に砧公園とこんな素敵な美術館があるなんて、ご近所のお花屋さん、世田谷市場を使うひとたち、何ともうらやましい限り。

月曜日は、かねてより「ご一緒しましょう」と約束していたお友達と二人で。そして金曜日に再び。世田谷市場でのしごとが急に入ったのでその帰りに。なにせとても良かったので。

ジャーナリスト、生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者として、その名を知られるところですけれど、個人的には、グラフィックデザイナーとして残した作品にとても興味をもっていたので、この展示にて、暮らしの手帖の表紙ばかりでない、初めて目にする戦中戦後に手がけた多くの装丁と作品、その遍歴に触れることができたことは、大変な満足だった。

そうそう、実は昨秋から、花の仲卸業者であるフローレ21にて、営業企画の業務に関わらせていただいてるのだけれど、過日発行されたホットニュース(フローレ発行のメルマガ)で、小池社長が自身のコラムでこの展示について書かれていていたのがとても印象深かった。ので、ここに転載をさせていただきます。東京は9日で会期終了しましたが、今後関西ほかで開催の折には、ぜひ足をお運びください。おすすめ。

フローレ21 ホットニュース 2017 年 02 月 17 日号 No405 より

「花森安治と暮らしの手帳」 
2月11日から4月9日まで世田谷美術館で「花森安治の仕事」 -デザインする
手、編集長の眼ー が開催されている。NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で
花山伊佐次のモデルとなった編集長花森安治である。

太平洋戦争の終戦から3年、戦争の傷跡を至る所に残しながら、日本が立ち上がり
歩み出したばかりのころである。花森が「とと姉ちゃん」こと大橋鎭子などと共に「暮
らしの手帳」を発刊したのは1948年である。
私が生まれて2年、多くの日本人がゆとりや豊かさを感じることができなかった時代
であった。

そのような時代の中で「暮らしの手帳」は革命的な雑誌として豊かな暮らしを読者
に提案し続けた。私が「暮らしの手帳」と出会ったのは発刊から12年たってからで
ある。

私の家庭も少しずつ変わり始め、14歳のころ公団住宅に応募、当選し公団住宅に
家族で住み始めた。ちゃぶ台で食事をしていたのがテーブルに変わり、朝の食事はパ
ンがでることもあり、牛乳も飲むようになった。

小池家は私を除く全ての構成員、母と兄二人は働きに出て、私だけが中学に通って
いた。アルバイトは早朝に牛乳配達をし、これは私の唯一の小遣いとなった。
その時の家族会議で「夕食だけは潔につくってもらう」こんな提案が長男から飛び出
し、ひと月のまかない金が私に預けられ、家計簿をつけ中学2年生の料理人が誕生し
た。

兄は何冊かの「暮らしの手帳」を私に渡し「この本にいくつもの献立と作り方が書い
てあるから。これを見てつくりなさい」。これが「暮らしの手帳」と出会った初めて
の時であった。献立のなかには安くて栄養価がありおいしいメニューがあった。当時
はクジラの肉が安く、ただ少々牛肉と違う臭みがあった。しかしクジラ肉に生姜をた
っぷり入れることで臭みがなくなり、牛肉のようになる「クジラの牛丼」が完成した。

そればかりでなく様々な暮らしの提案がなされ、特に電化製品の商品テストは抜群の
信頼性があった。

当時の小池家の家計簿を見ると「花」と書かれ30円と書いてある。仏様もなく、
花など飾ったことがなかった食卓に私は花を飾った。

「暮らしの手帳」には花森の絵が表紙を飾った。この表紙こそ彼らが目指す「豊か
さ」を表していた。

裕福ではないが夢があり、未来があり、安らぎを感じるものだった。この表紙にたび
たび花が何気に飾ってあり、さらなる豊かさを感じさせた。私が初めて買った30円
の仏花もその影響だったのかもしれない。

その後表紙は様々に変化されるが夢や豊かさやそのデザインは何十年の時を超え
る生命力を持っていた。表紙に野菜や果物が登場し何の変哲もないもない野菜や果物
がその色、形、影が素敵なハーモニーを感じさせる。

私はその表紙を見ると当社のデザイナー岡君の作品と重なって見えてくる。それは
あれから60年もの月日が経っているのにまだ新しさを感じさせてくれる力がある。
1948年「暮らしの手帳」の創刊号の表紙。それは、粗末な部屋だが小さいおし
ゃれな電気スタンド、小さな椅子、お茶のポット、小さな鍋に小さなクロス。小さな
部屋のワンカットだが夢があり、貧しいが豊かさがある。

花森の絵はそのワンカットにしっかり花を描いている。数本の花が小さな花瓶に飾
られさらなる豊かさを感じさせてくれる。

「花森安治の仕事」 -デザインする手、編集長の眼ー は4月6日まで開催です。※1
ぜひ自分の眼で豊かさを感じていただきたい。

※1 会期は4月9日まででした。

砧公園の桜。見頃にみれて、今年の桜はほんとうによかった。

 

再会

東京は春らしい晴れ空に、桜ひろがる麗らかな一日でした。そんな今日昼下がり、熊本から友人が訪ねてくれました。3年ぶり、久々の再会に喜びそして、昨年の熊本の地震で酷く被災した当時の様子、いまもなお変わらない現状を聴きました。被災から1年、問題はまだまだ山積ですが、今ようやく地域にも笑顔が戻り、大人たちの社会復帰もされてきたといいます。

生活すること、子供たちを守ることに必死だったから、当時のことはよく覚えていないと彼女、こちらも、きっと乗り越えてくれると信じ、忘れずにいることしかできなかったと伝えました。

すると、そんなさ中に東京から届いたメッセージに、避難所においた車の中で、ひとり号泣したというのです。

「自分を許してあげてね」

自分の発した言葉を記憶していない無責任を、詫びたい想いでいっぱいになりながらも、あの言葉がいつも心の支えだったという、彼女の屈託ない笑顔にうれしくなり、安堵したのでした。

そしてあの言葉は、熊本を忘れずにいることしかできぬ、ほかに何もできずにいた、自分自身へのメッセージだったのだろう。今ここに、受け止めています。

今日もいちりんあなたにどうぞ。

ツバキ 花言葉「誇り」

春うらら

春うらら。東京の街中の木々も、うっすらピンクに染まり始めました。桜、木蓮、ハナミズキ。どの季節にあっても、花々が魅せる自然の神秘は感動を呼び覚まし、そして私たちの心に深く刻まれていきますが、春はやはり格別ですね。今年も一緒に眺めたい景色ばかりです。ほんとうに(^-^)

今日もいちりんあなたにどうぞ。

ハナカイドウ 花言葉 「温和」

指月の喩

「指月の喩(たとえ)」とは禅の経典にある問答の中の言葉です。

言葉というのは発したかぎりは言葉(指)にすぎないけれど、本来、言葉が伝えようとしているのは、その先にあるもの(月)こそであり、それが何より大事なのだ。そんなことを言っています。

この喩は、どちらがどうあるべき、というよりも、伝える側にも、月がどのようであるか相手に伝わるように言葉を使うことが大切であるし、きく側は、指(言葉)の先に何があるのか、そのことに心をかけてみなさい。という訓えと、解釈しています。

「ひとは対人が指さすと、その指先ばかりみて、指の先その向こうにある月を視やしない。けれど相手が見てほしいのは指先なんかじゃなくて、あの月なんだよ。」

自分の中の常識をちょっと下におろして、ほんの少し心を遣うだけで、もしかしたら、今まで気がつかなかった月の美しさに、出逢えるのかもしれませんね。

今日もいちりんあなたにどうぞ。

アスター 花言葉「信じる恋」

4月になりました

四月になりました。卯月とは、十二支の卯(うさぎ)が4番目に来る「4番目の月」からとの説もあります。

今日から新年度。近年ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)という言葉を耳にする機会がふえました。それだけ女性の活躍の場が広がったことを意味するのだと解し、また伴い、公私におけるバランスの難しさを感じる人も多くいらっしゃるのだと受け止めています。

とかく日本女性は、100%うまくいくことを求めたがるところがあるそうです。しかし欧米では100%は神様のお仕事、という考え方があるとのこと。故に私たちは100%はやってはいけない、ということを意味するのだといいます。

たしかに真正面から突きつめることも大切だけれど、必ずしもそれが、絶対一致するということはないという視座も、持ち合わせていたいものです。

ゆるやかなつながりの中でも、ひとの生き方を知り、自分をたてながら生きていけるなら、それもスタイルですね。何をするか、どこに住むか以上に、どのように生きるかを考える力は、きっとこれからのあなたを支えることでしょう。新生活にエールをこめて、今日もいちりんあなたにどうぞ。

映画を見ることは
どう生きるかを考えること。
それは大きな喜びです。秦 早穂子

ヤマブキ 花言葉「待ちかねる」

勝手にしやがれ

1950年代、フランスのヌーヴェルバーグ(新しい風)の誕生をうけ、その後多くのフランス映画が日本にも輸入されるようになった。当時、まだパリでも知られていなかった映画『A bout de souffle』を世界で最初に買い付け、日本に持ち帰ったのが秦 早穂子さん。近年は映画評論家としてご活躍されている。

彼女は、原題が『息切れ』であったその映画に『勝手にしやがれ』と邦題をつけ、日本の配給会社へ持ち帰った。いわく「当時の日本にパリに怒りがあった。日本では敗戦後の焼け野原に、フランスでは外国人への排他的な態度に、そして映画人に対して無理解な大人たちへ。私はそれらへの怒りを、この映画のタイトルにつけたのだ」と。

私はその記事を、数年前に何かの雑誌で目にし、そのインタビュー記事をノートにメモしてい、そしてすっかり忘れていたころの最近に、たまたま彼女の名前をWEBで見つけて思い出した。

最近本ばかり読んでいるのだけれど、昔の日本には、松下幸之助しかり、本田宗一郎もそうでしょうか、経営者に限らず映画監督、脚本家、文学者であれ、今にくらべもっと社会や人を動かすほどの強い言葉を、発する人が数多くいたように感じる。そしてどの言葉にも、怒るばかりではない勇敢さがあったように思う。

人は不安な時には立ち止まり、危機感を感じたときに行動するもの。もしかしたら現代は危機感というより、漠然とした不安を抱えている人が多いのかなと思う。危機感が泳げば渡れる海だとしたら、不安は足のつかぬ沼地のよう。泳法を知っていても使えないのだから、沼のほうがよっぽど深みにはまれば苦しかろう。

このところ人の吐露をきくことが多く、きくことしかできないのだけれど、不安げに笑顔をみせる彼らを見てて、そんなことを考えた。

春のはじまりに

写真は写真を見るだけで、自分もそこにいるような気分になれます。映画は映画の中に、揺れる人間の姿を見て、そんな生き方もあると想像することができます。言葉は、それで100%の真実を伝えることはできませんが、言葉には心の流動があります。たとえばあなたの日記にも、かつて読んだ小説にも、時を刻んだ随筆にも。

芸術であれ、実用であれ、殊によい表現のされたものとは、眼に研ぎ澄まされているばかりになく、触れるものに喜びを、真にどう生きるかを考えさせる力があります。

ときには心をまっさらに、みずみずしい感性で、新しい物ごとに触れてみるのもよいものです。春のはじまりに。今日もいちりんあなたにどうぞ。

イベリス 花言葉「心を惹きつける」

文章読本

白楽天の心がけ、とは、谷崎潤一郎の「文章読本」にある言葉。そこには、むかし唐の大詩人であった白楽天が、自分の作った詩を発表する前に、その草稿を無学なお爺さんおばあさんに読んで聞かせ、彼らにわからない言葉があるならば、躊躇なく平易な言葉におきかえた。という逸話が引用されている。

要約すると、文章にはわかりやすい言葉を用いることが原則であり、故意であれなしであれ、自分の学問や知見や頭の働きをそのままに言語化すること、また人がつかわない用語を多用するなどの、異を樹てようとする根性は改めなさい、ということが書いてある。

私にしてみたら、語彙をおおくに駆使できて、流暢に言語化できる人には尊敬も羨望もあり、けれど今に、言葉や文字の表現が万能ではないことを弁えること、饒舌を慎むことも相手への心がけであり、相手にとって分かりやすいこと、その配慮があって真のたしなみだ。と言われれば、なるほど、それでいいか。と思うのでした。

言葉はその場で感動させるように話し、文章はその感銘が長く記憶に残るように。と記されています。日々勉強。

 

 

 

春なので

この春、

お仕事で使う目的と、情報過多にならない程度に

SNSを整理した。

特別な理由はなく、自分にとって
ただそんな時期を迎えたのだと思ってる。

いがいと

とくに何も困らない。
淋しさもない。

なにより
本を読む時間がふえた。

そしてかわらないこと。

つながり方はなんであれ

自分にとって大切な人は

生涯大切にする。

それだけのことだ。

高峰秀子さん

昭和初期、戦前戦後を通じて日本映画界に花をそえた女優のひとりに、高峰秀子がいる。女優時代からエッセイストとしても活躍し、2010年に亡くなるまでそれはそれは多くの本を出版し続けた方だ。

20代の時分、古い日本映画にはまっていた時期がありまして、故に彼女の存在もはやくから知っていたのですが、亡くなった当時、たまたま書店にいけば、彼女の書籍が店頭で平積みになっていて、なんと銀幕だけでなくこんなにたくさんの作品を残した人だったんだと、あらためて驚いたことを思い出す。

そんな彼女の訃報を機に、それまで古い映画の中でしか見たことのなかった女優のエッセイを、数冊手にし読んでみたらこれが面白かった。そこにはかつての日本映画界を支えた大女優、という縛りを掃った、ただ一人の女性としての生き様が描かれていて、当時まだ私は20代であったけれど、何とも潔いばかりの気概ある生き方に触れるのは、流行りのTVドラマを見るよりもずっとずっと爽快で愉しかったのを忘れない

エッセイストであった彼女が後世に残した言葉は数多く、そのなかでも私は「私は考えても仕方のないことは考えない。自分の中で握りつぶす」というのが、今でもなんだか好きで。なにせ考えすぎるが性分の自分には、こんな痛快な一言さえあれば、いつでも手本になったし、影響を受けたわけではないのだけれど、「嫌なことがあっても、そんなものは胸の中で握りつぶす。」と唱えていた自分の言葉と、偶然くだりが同じだったのだ。

彼女の生い立ちや至極苦労した人生のなりゆきは知られるところだが、しかしそこに強い共感をもったわけでもなく、ただ屈託ない洞察眼と、歯に衣きせぬ断言は、自分が四十半ばとなった今こそ、ハンサムでカッコいいなあと思います。

ちなみにのちに高峰の養女となった斎藤さんの書くエッセイは、当時高峰秀子を失くした傷心と私情、高峰愛に溢れすぎていて、客観性に欠けるあれは私にはとても読めませんでした。ですが、本人の残したエッセイは、今もそれぞれによく、女性にはおすすめです。ご興味あればぜひ。